無能だからである。
大学院を出て博士号を取っても生活保護になりかねない、というツイートが話題になっていた。
大学院を出て博士号を取っても、生活保護だからな。恐ろしい時代になったよ。大学で非常勤講師をするよりも、コンビニやマクドナルドでバイトしたほうが実質的な時給は高いからな。博物館の時給が1000円くらいだが、皿洗いも同じ。専門知識なんて糞の役にも立たないよ。 酷い時代だね。
— 渡邊大門〔株式会社歴史と文化の研究所代表取締役、博士(文学)、十六世紀史研究学会代表〕 (@info_history1) January 28, 2023
このツイートを見て、私は正直驚いた。
お勉強すればお金が湧いてくるとでも思っているんだろうか?
全てのお金が提供した価値の対価になっているわけではないが、「誰かがお金を払いたい何か」を提供できなければ貧乏なままである。
どんな博士号を取った人が生活保護になったかはわからないが、「けん玉の歴史」みたいなのを研究している人がいたとして、そんなものが何の役に立つのだろうか?
その研究は、人類の役に立たない。
だからといって、スポンサーを探す努力をするわけでもない。
ミニ四駆やハイパーヨーヨーを流行らせたコロコロコミックのように「けん玉漫画」を書いて子どもたちの購買意欲を掻き立てる気概もない。
「けん玉の歴史」は一例に過ぎないが、多くの貧乏な博士課程の人物は、金を稼ぐ努力も思考もせずに、「高学歴で一生懸命研究している俺たちがなぜこんなに貧乏なんだ...」と嘆いているだけだろう。
こういうことを書くと、「お前は博士課程の実情を全然知らない」などと言って、研究室の処遇がいかに劣悪かを語り出す学生がいるかもしれないが、どうでもいい。
一般人が知りたくなるように、博士課程の様子を面白おかしく YouTube のコンテンツにでもしてくれればいいのに、そういうこともしないだろ?
「俺たちのこと、わかってないんだ」とか言いながら文句ばっかり言ってるんだろ?
そんなの貧乏に決まってんじゃん。
「どうして俺の魅力に気付かないんだ。世の中の女は馬鹿なんだ」と嘆くキモい男と同じじゃん。
「すごい専門知識」があるなら、すごい専門知識をわかりやすくまとめたサイトを作って広告でも貼ればいいし、それで誰にも読まれないなら、その研究自体世の中から何の関心も持たれてないってことだ。
博士課程が生活保護予備軍なほど貧乏だという事前情報は誰でも知ってるんだから、実家に援助をお願いするとか、貢いでくれる異性を見つけておくとか、やり方はいくらでもあるのに、なぜ対策しないのか?
全く理解できない。だから同情もできない。
国が援助すべきという主張にも賛成できない。需要があるかもわからないし、需要があるかどうかは国にはわからない。情熱があるなら自分でなんとかしろ。
たとえば、世界史マニアの 俺の世界史 ch のチャンネル登録者数は 24 万もある。
一般的に勝ち組と呼ばれる年収 1000 万のサラリーマンよりもずいぶん豊かな生活ができるレベルの収入があるのは間違いない。
現状を嘆く博士課程の学生は、俺の世界史 ch を見習えばいい。お勉強をカネに変える努力をしないから貧乏なのだ。
「どうやるか」よりも「何をするか」の方が 100 倍大事
貧乏な博士課程はどうでもいいが、哀れな博士課程から学ぶべき教訓はある。
「どう頑張るか」よりも「何を頑張るか」の方がずっと大事だ、ということだ。
大学受験に例えるならば、「倫理」や「生物」をいくら頑張っても、数学や英語がいまいちだったらまともな大学には合格できない。
社会人になってからも、大手 SIer のような JTC で必死に会議の議事録を取っても金持ちにはなれない。
「議事録こそが社会人の基本だ」などという人は多いが、新卒で評価が定まっていない時期か、あるいはその会社で出世を目指すでもない限り、完璧を目指すのは無駄過ぎるだろう。
インフルエンサーのポジショントークは無視するべきだ。うまくやる必要がないことに力を入れる意味はない。
「置かれた場所で咲きなさい」という格言は嘘っぱちで、「どこで頑張るか」を選ぶメタな視点が人生においては最も重要なのだ。
頑張っても意味がない環境では才能の花も枯れてしまう。
未来を見通すなど不可能ではあるが、明らかにコストパフォーマンスが悪く、リターンが少ない環境で努力する必要はない。
人文系の博士課程はその最たる例であろう。
どうしてもやりたかったら、起業して、会社を売って、金持ちになって暇になってからやればいいではないか。
ここで書いたのはほんの一例に過ぎないが、読者はとにかく、「どう頑張るか」よりも「何を頑張るか」の選択に全力を尽くしてほしい。
多くの人は、目の前のことには必死に頑張って、「どうやってうまくやるか」に知恵を絞るのに、「眼の前のことに労力を費やす価値があるか?」については真剣に考えようとしない。
敷かれたレールの上で頑張るのではなく、どのレールを走るかを選ぶときにまず、必死にシミュレーションするのがいい。
レールの先に、自分が欲しい物が手に入るかどうかをよく考えよう。
「金持ちになりたい」「モテたい」「チヤホヤされたい」みたいな、世間一般的に「醜い」とされる欲求から目をそらしてはいけない。
本心で求めているものは、崇高なものである必要はない。
起業家の綺麗事に惑わされてはいけない。
ここまで書いても「どうしていいかわからない」と悩んでしまう人に向けて、私から一つアドバイスできるとするならば、
「迷ったら一番金が稼げそうな道を選べ」
ということだ。
「自分が好きで興味があって楽くて、時間を費やすのが苦ではなく、世の中から需要がある道」を選ぶのがベストだ。
そんな道を見つけられたなら、もう迷う必要はない。その道でまっすぐやっていけば、必ず成功できる。
この山口さんってある種の典型なんだけど、クルマで例えると、エンジンの馬力は物凄いモンスターマシンなんだけど、カーナビのGPSが壊れてて現在位置が取れない上に、持ってる地図が古くて間違ってる系なんだよね。 https://t.co/WZgGtCDgDN
— 田端@ツイッター成長請負人 (@tabbata) January 29, 2023
山口真由さんは美人なので好きだが、「何を頑張るか」のメタ思考ができない典型である。
一生懸命努力できる。 東大主席で、司法試験にも受かった。国家公務員試験にも受けった。現在、金持ちなのか貧乏なのかはよくわからないが、努力と能力に対して、あまり報われていない印象はある。
頑張る場所を考えなかったのだ。自分の頑張る場所は教科書には載っていない。自分で見つけなければいけない。 資格試験に邁進する社会人も似たようなもので、自分が求める「リターン」を理解していないと、ずれた結果にしかならないだろう。